夜、電車の中から見た、隣を並走する電車の中身






人間っていう尊い命とかいうものを持った生き物がぎっしりと詰まってて、人間には到底出せない、機械の総力をあげた超高速で動いてる。


中の人々は、笑いあったり、真剣に話し合っていたり、一人で本を読んだりしてる。その人たちは、もし電車が事故にあったらみんな死んでしまう。一気にただの物質になっちゃう。そんなにもたやすく。尊い命とかいうものが。





まわりの世界がドラマチックに見える方法ってのがあってね、すっごいあたりまえなことなんだけど、その一人一人にそれぞれのドラマがあるんだって思うと、世界がすごいドラマチック。ドラマチックでそして壮大。





いま目の前を歩いてるおばさんにも当たり前に家庭があって、今は仕事帰りなのかな〜、家では子供がご飯を待ってるのかな〜。とか。そんな小さなことから。


そのすぐ後ろをあるくおじさんだって、どっかの家庭でお父さんしてて、妻と、子供がいて。もちろんそのおじさんにもお父さんとお母さんがいて、兄弟もいるかもしれない。通勤してる会社には同僚がたくさんいるし、実は人気者で、高校や大学の友達とも定期的に飲み会をしてるような人かもしれない。もうすぐ訪れる妻との結婚記念日のために試行錯誤をして、準備をしてる最中かもしれない。そこらへんにいるだれだって、きっと何かのドラマの中で生きてる。





こういうのって、ほんとに当たり前なんだけど、普段そういうこと感じないじゃない。街を歩く人々はある意味ビルや道路と同じ景色と一緒。

例えば、渋谷のいつも人がいっぱいの通りをオール明けのあと通ったりすると、人が一人もいないせいで一瞬どこかわからなくなる時がある。ちょっと話がずれてる気がするけど笑、それだけ僕らってそこらへんにいる人たちを景色としか思ってない。


だって僕の生きるこの世界の主人公はもちろん僕で、周りの家族や友達、職場の同僚だけが僕の物語の登場人物。でもなんていうか、そのいつも景色としか思ってなかったそこらへんの人たちにも僕と同じくらいの、もしくはもっと広いコミュニティがあって、その人の物語がある。物語には過去はもちろん、妻と世界一周旅行行こうっていう約束してたり、いま付き合っている彼女に明日プロポーズしようとしてたり、未来もある。それは、ほんとに想像もできないくらいに広い物語の世界。



でね、話を戻すとさ、電車って、そんな広い世界を持ったものがぎゅうぎゅうに詰められてるのよ。事故ったらその莫大な量の世界と物語が一気になくなっちゃうって考えるとものすごい怖いって思っちゃうんだよね。


そのヒトっていう一大物語が、何千も一気になくなるって、本当に怖い。だから僕は特に、夜の電車で隣を並列して走る、ライトに煌々と照らされた今にも無くなるか無くならないか危うい巨大な物語の集合体を見て、なんか変な不安でいっぱいになる。だってそれは自分を見てるのとも同じだから。ガラス窓に映った僕自身にふと気付く。










あ〜^^

厨二病全開で気持ちいいです。