読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

freeter



  ある日のこと。昼過ぎ、12時中頃に目が覚める。連勤明け、今日は久しぶりに何もない日。暇だなぁ。学校もなければ仕事もない。かといって遊んでくれる友達も、思い焦がれることができるような好きな人もいないんだから、もう今日はどうしようもない日になるなぁ、、なんて、今日という日に絶望を感じながら適当に携帯をいじる。今の時代はすごいなぁ。SNSの爆発的な普及が世界をまるっとひっくり返した。しばらく会っていない知り合いのことなんかも、今どんな近況なのかとか、携帯を開けばすぐわかる。毎日のようにわかる。久し振りだねぇ!なんて感動しながらの再会って、今の時代少なくなってるんじゃないかな?たしか、僕が高校2年生くらいのときじゃないかな、こんな感じになったの。ともすれば2009年とか、そんくらいのころ。僕の場合mixiから始まって、3年の中期からTwitterが始まって、、。それより前は暇な時にどう過ごしてたかとか、いろいろ忘れてしまったよ。インターネットが猛威を振るい始めたのが2000年の初頭で、そこから世界は音を立てて変わっていったと思う。良いことも悪いことも、いろんな意見が色んな場所に伝わりやすくなって、良いような悪いような影響を及ぼしてる。インターネットが日常にある世界と、インターネットが日常にない世界って、環境そのものが全く違って、人が、国が変わると思う。だからインターネットがない時代にできた日本の憲法とか法律って、今の時代に合うわけがなくて、いっそのことそういうの全部変えたらいいんじゃないかなって思ったりもする。あと何年かして、"インターネットがあることが常識の世界"しか知らない国民しかいなくなったら、本当に国は変わらなきゃいけないと思うんだよね。
  そんななんの実りもないこと考えてたら、部屋の隅からガサゴソと物音が聞こえてくる。その音を立ててるものは僕が起きたことを確認すると、ベッドに飛び込んで顔を舐めてきた。おやおや、そうか忘れてた、僕には猫がいたんだった。一通りなで散らかして遊んでいると、唐突に空腹に気付く。12時間以上腹に物を入れてないのだから当然だ。起きてから約一時間、はじめてベッドから降りる。水をコップ一杯一度で飲む。リビングにいって、肉まんを1つレンジに入れる。走ってついてきた猫は、肉まんができるのを待ってる僕に、にゃーにゃー鳴きながら身体を擦り付けてくる。わかりやすいやつだ。お前も腹が減っているんだな?あぁ…、でも悪い、今思い出したけどエサが切れてるんだったよ。肉まん食べたらすぐ買ってきてやるから待ってろよ。と、ねだる猫を尻目に、テレビを見ながら出来立ての肉まん一個を20分くらいかけて食べる。テレビではよくあるサスペンスがやっている。科捜研の女か、京都地検の女?それとも相棒か。沢口靖子水谷豊も出てこないから今のところなんなのか全くわからない。でも正直、そんなことはどうでもいいのだ。明らかに怪しい、見かけはいい人そうな女が現れ、多分こいつが犯人なんだろうなとか思いながらテレビのスイッチを切る。
  外は風が少し強いがとてもいい天気だった。やれやれ、こんないい日に全く。猫の餌を買うために近くのドンキーホーテへとぼとぼ歩く。ちなみに、ドンキはドンキでも、メガドンキーホーテだ。メガである。聞くところによると、田舎にしかないドンキの亜種らしい。なにが違うのかって、よくわからないけど、とにかくメガなのだ。僕の家は最寄駅から徒歩40分くらいのところにある。日本の中で影の薄い埼玉県の中でも、さらに影の薄い地域だ。ここ最近はずっとこの付近で行動しているせいか、この前久しぶりに東京駅に行く機会があったのだけれど、その時僕は東京駅の都会さに少し目眩がしたよ。新宿や渋谷には時々行くけど、丸の内や銀座をはじめとする本物の東京都に行くのは久しぶりだった。新宿とか渋谷とかそこらへんの街って、東京都でもすごく栄えていて都会なイメージだけど、実際のところ東京の吹き出物みたいな場所なんだよ。働いている者の大半は田舎者、買い物している者の大半は田舎者。全てを受け止めてくれてる東京の受け皿が新宿や渋谷なんだよね。だから、僕もそこの中では馴染める。ただ、丸の内とかの雰囲気っていうのは少し違う。おれの身体はそこの雰囲気に耐えられないみたい。最近ようやく気付いたんだけど、どうやら僕はオシャレな場所とか人や物が苦手みたい。死んでもハイカラな人間にはなれない。僕はそんな人間だった。そのときは、街に出るまでもなく、駅だけで限界だったよ。
  ドンキにつくと、最短コースでペットエリアに向かう。もう慣れたものだ。目をつむってても行ける。そういえば猫を飼い始めの頃は、家から徒歩20"歩"くらいのドラッグストアで餌を買っていた。そのうちドンキで買うようになったのは、値段がはるかに安いことに気付いてしまってから。距離にしてみれば10倍以上になったけど、背に腹は変えられない。15個くらいかな、ちょうど1000円で買える数の餌を買って帰路に着く。店を出る時、衣類のコーナーにあった姿見鏡で自分の姿が見えた。見すぼらしいなぁ。他人事のように思う。学校を辞めてから、いろんなものにルーズになった気がする。ヒゲを剃ることだったり、髪を切ったり、爪を切ったり、服装に気をつけたり、そういうのが疎かになった。3日くらい風呂に入らない時もあった。歯磨きの数も減った。1日1食なんてザラ。昨日着た服を翌日も着て出掛けることもある。以前はありえないことだったことを今は無意識にしてしまっている。生活習慣が狂ってきている、それを肌で感じている。そしてこんな生活をしていると、人は相応の風貌になる。人は見た目で判断しちゃいけないというけど、それは嘘だ。人は見た目で9割のことはわかる。でも僕がこんなになっているのは、学校を辞めたことよりも、人に会うことが少なくなったからと思う。人間は社交する生き物なのだ。社会から離れれば離れるほど、人は人じゃなくなるものなんだよ、きっと。人の性格は血で決まるのか環境で決まるのか、よく言われるけど、大方は環境で決まると思う。というと、なんだか僕がフリーターとして落ちぶれたのは家庭の環境のせいみたいな言い方だけど、なんかそれはそれで違う気がする。そんなような、答えがないことを考えるのもまた人間なのだ。さて、話は戻り、当人の僕は黒のダボダボスウェット姿にボロなクロックスを履いて、度数が高いメガネをかけて目はいつもの半分の大きさになっている。おまけに寝癖までついていた。帰路の途中、僕は煙草を吸いながら歩いた。もう一方の手には、猫の餌がたくさん入ったビニール袋と、ドクターペッパーがあった。ドンキを出る前、店の中で90円で売っているのを見つけたのだ。家の近くの自販機では130円じゃなかったっけ?これ?ラッキーだ、儲け!衝動買いだったが、持っていると手が冷たいし、ビニール袋を持った手でジュース缶を持つのはなかなか大変だった。ドクターペッパーの缶をジュルジュル飲みながら、煙草を吸いながら、ふらふらと歩った。
  ドンキと家との間に、大きめの公園がある。団地と隣接している公園で、たぶんその団地のものなんだと思う。平日の昼下がり、人は1人もいない。平日だし、時間が時間だし、それもそうなのだけど、この公園はいつもそうなのだ。休日でも、この公園で人がたくさん遊んでいるところを僕は見たことがなかった。隣にわりかし大きな団地があるにも関わらず。そもそも、その隣接している団地というのもなんだか人っけがない場所だった。時たま、住人と思しき人がゴミを出しているのを見るけど、それ以外に人をあまり見たことがない。もっというとこの地域一帯自体に人っけがない。閑静な住宅街といえば聞こえはいいけど、悪く言えば、どこか味気がない町だった。ただ、この街の雰囲気は僕の肌にはとてもよく馴染むのだ。僕もまた、この味気ない街の一つということなのだろうね。僕は、その公園に寄ることにした。ベンチに腰掛けて2本目の煙草に火をつける。ビニール袋も缶も置いて、一つため息をつく。僕はこの公園が好きだった。所狭しと住宅が並ぶ中に、大きな穴のように空いたその公園は、いつ来てもしんとしている。見渡すとどこを見ても空があって、風通しのいいその場所は、四季折々一昼夜の色に染まっていく場所だった。夏には夏の、冬には冬の匂いがする。風が吹けば木々が揺れる音がして、夕方になれば夕日でオレンジ色になる。でもその日の公園は、季節の変わり目のよくわからない雰囲気で、いつも以上にしんとしていた。近くを通る自転車の音。その自転車の影が公園に投影されてすぐ消える。公園のそばを女学生の2人組が通っている。テスト期間で帰りが早いのかな?そういえば弟も今はテスト期間だと言っていたような気がする。こういう生活は、言ってみれば毎日が休日だ。たまに休日のつもりで午前中スーパーに行くと、その閑散とした風景に愕然とすることがある。こうしているうちにも、世界は平常通り進んでいた。僕の人生は、全てがスローモーションだった。
  起きたての身体に、煙草がきいてきた。気分が悪い。そろそろ帰ろうとビニール袋を持つ。缶は飲み干してしまったから公園にそのまま転がしてきた。感覚が、少しずつズレてきているのがこういうとこにもでている。吐き気がする。家に帰ると猫は窓際の日なたで寝ていた。声をかけるとすぐに起きて、また催促の鳴き声を出す。お前はいいなぁ、餌を食べて寝ているだけで可愛がってもらえる。逆に言えば、それだけで周りを幸せにしているのだ。羨ましい限りである。猫が餌にがっつき始めたから、安心してソファにもたれてまた一つため息をつく。今日は昨日借りてきたビデオを見漁る日とさっき決めたのだ。テレビをつけると、さっきのドラマがやっていた。どうやら相棒でも科捜研の女でもないよくわからないドラマだったようだったが、犯人はやっぱりあの女だったようだった。ビデオは適当に10枚くらい借りてきたけど、今日は『フォレストガンプ』を観ることにした。最近、涙腺が露骨に緩くなっている。今まで映画だとか音楽だとかで感動して泣いたことがほとんどない。でも最近、どうでもいいテレビのVTRで泣いたりすることがある。今なら泣ける気がする。僕は感動で号泣してみたいんだ。今ならいける気がする。観たことはないけど、噂によると結構泣けるだとか感動するだとか、随所で名作だと言われているは知っている。ドラマのエンドロールを遮るようにして、ビデオの再生ボタンを押す。結果から言うと、『フォレストガンプ』で僕は泣けなかった。唯一、フォレストガンプの「i miss you jenny」というセリフが少し涙腺にきたが、軽いノック程度のもので、僕の引きこもった涙はそのドアから顔を出してくれなかった。その翌日、録画していたコウノドリ第2話で泣くことになるとは全く思わなかったけど、まだ僕の涙腺の守りは固いようだった。少し残念だった。なにが残念って、自分に残念なのだ。

  映画を観た後、僕はなんだかすごく眠たくなった。だから、僕は寝ることにした。この生活のいいところは、眠たいときに寝れることだ。まるで猫のようだ、僕は今思い返しながらふと思った。この瞬間、僕は憧れの猫になっていたんだ。部屋に入りベッドに倒れ込む。格好の悪い体勢な気がするけど、まぁ、いっか。いつのまにか猫もついて来ていて、傍に丸まっている。猫の温かい体温が伝わる。僕は、ビデオはまた全部観れずに返すことになりそうだなとか、明日髪切りに行きたいなとか、そんなことを考えながら目を閉じる。おやすみ世界。知ってたかい?僕は君たちと同じく、この周る地球に乗りながら同じように生きているよ。遠くから見れば僕らはなにも変わらない。そうだろ?カンパネルラ。そうして、いつの間にか、僕はぐっすりと眠りについていた。



















おわり